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この建物は、1918(大正7)年9月17日、[施主]浅野セメント(株)、[棟梁]村木甚三郎、[斎主]大谷友蔵において、上棟祭を執行、大正9年ごろの完成だと思われます。
当時は、「浅野セメント(株)函館営業所」として、セメント浜と呼ばれるほど活気に満ち溢れていたこの界隈も、1947(昭和22)年、当時GHQによって進められていた財閥解体によって、「日本セメント(株)」と改称。
1954(昭和29)年には、「(株)北海道漁業公社」へと移譲され、第二の人生を歩みますが、1988(昭和63)年に同社が破たん、その後、10年以上もの間、閉鎖されたままでした。
しかし、2003(平成15)年11月、朽ち果てる寸前だったこの建物を、上磯町の澤田建設(株)の手によって、約6ヶ月の工期を経て、見事に甦えらせました。
上記の写真より、当時、セメントがまだとても高価な時代に、多量のモルタル、ブロックを巧妙に駆使した石造り風に作られ、重厚感と階高があり、とてもスタイルが良く、屋根の形や塔屋、窓の上下の飾りに現代では見られない、『擬洋風建築』の特徴がみられます。
下記に示すように、村木甚三郎は、旧函館区公会堂などをはじめとして多数の建築物にかかわり、外国人からの指導を受けることなく、この『擬洋風建築』を作り上げていった、歴史に残る名大工です。
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